沿革
History

ミミズクの話

東北大のミミズクとは...?

ミミズク(イメージ)

学問の象徴「ミミズク」

ミミズク(ステンドグラス)

 この写真は学問の象徴、知恵の神様の使いとしてギリシャ神話に登場する「ミミズク」のステンドグラスです1)。これは大正7(1918)年に 仙台市片平丁に造られた東北大学理学部物理学科所属の小さな赤レンガ造りの建物に飾られてあったもので、現在は理学部の記念として東北大学記念資料室に保存されています。

 大正時代につくられたステンドグラスは現在、宮城県内には仙台高等裁判所のもの(1927年作)と、この「ミミズク」ぐらいだと思われます。日本におけるステンドグラスの製作技法は明治・大正時代にドイツとアメリカから導入され、この「ミミズク」はアメリカ技法によるものと推定されています。この時代につくられたステンドグラスで、もっとも有名なものは慶応義塾大学図書館にある重要文化財「ペンは剣よりも強し」であり、そのほか那須御用邸の「孔雀図」や各宮家所蔵のものなどがあります。

 前記の小さな赤レンガ造りの建物は、大正3(1914)年から物理学教室の兼任教授であった東京大学の岡田武松(のち、中央気象台第4代台長)と懇意であった、宮城県伊具郡金山村の蚕糸業の佐野理八が気象学研究室として寄贈されたものです。この研究室は敷地面積約100平方メートルの二階建てで、中央には風をはかる風カ塔がそびえ、その前庭には気象観測用の露場がありました。この建物は昭和20(1945)年、発展独立した地球物理学教室の所属となりましたが、理学部が片平丁から現在の青葉山に移転された後、昭和54(1979)年に解体されました。赤レンガの一部は惑星プラズマ・大気研究センター所属の女川地磁気観測所の門塀として残されています1)

 佐野理八は福島県二本松と宮城県金山(現在の丸森町)で製糸工場を営んでおり、養蚕と気象の関係が密接なことを痛感し、金山で本格的な気象観測をするために私設の測候所を明治31(1898)年に開設しました。当時の宮城県内には松島の東側の野蒜(のびる)に、明治14(1881)年から測候所が開設されていました。この測候所は、当初は仙台に設置予定でしたが、宮城県の大事業野蒜築港計画のため、急きょ変更されたものです。ところが、この計画は明治17(1884)年の台風で建設途中に港の防波堤が破壊されたために放棄され、野蒜測候所も明治20(1887)年に石巻に移転しました。佐野理八は宮城県南部の金山村が石巻からかなり離れているので、金山にも独自の測候所をつくり、そして東北大学物理学教室でも気象学を研究してもらうことが必要だと考えたのでしょう。当時の蚕糸業界にその名をうたわれていた佐野はほかにも、大正6(1917)年に2千円余を当時の大日本気象学会(現 日本気象学会)に寄付し、学会はこれを基金として「佐野賞」を設立しています。現在の日本気象学会には「佐野賞」はありませんが、そのいきさつについては不明です。

 学問の象徴「ミミズク」は大正から昭和のはじめ、さらに太平洋戦争では物理学教室の建物の約70%が焼失しましたが、幸いにも戦火を免れ、戦中・戦後を通じて学問の歩みを見つめてきました。

参考文献 1) 東北大学記念資料室だより No.2 1999年10月
近藤純正(東北大学名誉教授、気象学)記、写真も

沿革

 東北大学大学院理学研究科・理学部の地球物理学系は、大学院地球物理学専攻の講座を構成する地球物理学教室と地球物理学関連の理学研究科附属施設とからなる。大学院講座の教員は理学部宇宙地球物理学科の教員を兼任する。一方、附属施設の教員は大学院地球物理学専攻の協力講座に所属する。こうした組織上の区別はあるが、大学院教育においても、また学部教育においても、地球物理学系の全教員が学生の教育に当たっている。
 地球物理学系の歴史における大きな特徴は、教室と並存する観測所群を早期に設置してきたことである。これは、1945 年(昭和20 年)に物理学教室から独立した地球物理学教室の誕生を促し、さらに、観測施設の充実を一貫して重視する現在の方針にまで受け継がれている。本学系はまた、天文学との接点を重視し、理学部では1954年(昭和29年)より天文及び地球物理学科第一(天文)、天文及び地球物理学科第二(地球物理)という位置づけのもとに教育研究にあたってきたが、1992年(平成4 年)には、両者を改組統合した宇宙地球物理学科の発足をみるに至った。そして現在「宇宙とその中にある地球を探求する」という一層充実した理念のもとに教育と研究が実施されている。1994 年(平成6 年)には、地球物理学専攻の大学院重点化が行われて、本学系の新たな発展への基礎が据えられた。20 04 年(平成16 年)には、東北大学は国立大学法人となり、教育・研究に関する中期的な目標達成を目指すこととなった。20 03 年-20 07 年度(平成15 年度-平成19 年度)には地学専攻、環境科学研究科環境科学専攻、流体科学研究所、東北アジア研究センターと協同で21世紀COE プログラム「先端地球科学技術による地球の未来像創出」を推進し、我が国の中核的研究教育拠点として認知されると共に、大学院教育の質・量において多大な進展をもたらした。20 08 年度(平成20 年度)から2012 年度( 平成24 年度) にかけては地学専攻、環境科学研究科環境科学専攻、東北アジア研究センター、工学研究科災害制御研究センターと共同でグローバルCO E プログラム「変動地球惑星学の統合教育研究拠点」を推進しており、21世紀CO E プログラムに引き続いて我が国の地球惑星科学の中核的拠点として、様々な教育・研究活動を行った。また、2011 年3月11日の東日本大震災を契機として、2012 年度( 平成24 年度) に災害科学国際研究所が設立された。地球物理学専攻は同研究所と協力し、災害理学の研究・教育を実施している。

 地球物理学系を構成する地球物理学教室および各附属施設の沿革は以下の通りである。

(1) 地球物理学教室
1912年(大正元年) 12月 仙台市向山に「理科大学附属観象所」が竣工し、天文・気象・地震の観測と研究を開始。
1914年(大正3年) 東京帝国大学の岡田武松教授、気象学の講義開始。1918年(大正7年) 佐野理八氏の寄贈により片平丁構内に気象研究室および気象観測用露場を設置。
1922年(大正11年) 5月 物理学教室に宇宙地球物理学講座開設(担任:日下部四郎太教授)。
1924年(大正13年) 10月 中村左衛門太郎教授、地球物理学講座を担任し、その後地磁気観測も開始。
1945年(昭和20年) 1月 物理学教室から独立して地球物理学第一講座、同第二講座、同第三講座の3講座からなる地球物理学教室発足(勅令第24号及び同25号)。
1954年(昭和29年) 地球物理学教室を「天文及び地球物理学科第二」と改称。
1964年(昭和39年) 4月 「天文及び地球物理学科第二」の3 講座の名称をそれぞれ地震学講座、地球電磁気学講座、気象学講座と定めた( 昭和39 年文部省令第3 号)。
1970年(昭和45年) 4月 天文及び地球物理学科第二に海洋物理学講座新設(昭和45 年文部省令第14 号)。
1992年(平成4年) 4月 天文及び地球物理学科第一及び同第二の改組統合により、宇宙地球物理学科発足。
1993年(平成5年) 4月 宇宙地球物理学科に惑星大気物理学講座新設。
1994年(平成6年) 6月 地球物理学専攻の大学院重点化整備により、宇宙地球物理学科の地球物理学関係5講座を、固体地球物理学講座、流体地球物理学講座、及び太陽惑星空間物理学講座の地球物理学専攻3 大講座へ改組。
1994年(平成6年) 11月 地球環境物理学講座が発足し地球物理学教室系が4大講座となる。
1995年(平成7年) 4月 大学院重点化整備により、地球物理学教室系教官( 関連附属施設を除く) が理学研究科所属に配置替え。
1996年(平成8年) 4月 固体地球物理学講座に連携・併任分野が設置される。
(2) 惑星プラズマ・大気研究センター
1957年(昭和32年) 4月 地磁気観測所設置( 昭和32 年文部省令第7号)。1947年(昭和22年)4月学内措置により設置された女川地震津波地磁気観測所が前身。
1974年(昭和48年) 4月 超高層物理学研究施設設置(昭和48 年文部省令第10 号)。学内措置として設置されていた理学部附属遠刈田夜光観測所を吸収することとなった。
1979年(昭和54年) 4月 超高層物理学研究施設に気候物理学部門増設。
1990年(平成2年) 4月 超高層物理学研究施設気候物理学部門を大気海洋変動観測研究センターに組替える。
1998年(平成10年) 4月 超高層物理学研究施設、地磁気観測所とも大学院重点化整備により、理学研究科附属となる。
1999年(平成11年) 4月 超高層物理学研究施設( 昭和48 年設置)及び地磁気観測所( 昭和32 年設置) を改組統合して、惑星プラズマ・大気研究センターが設置され、惑星電波観測研究部及び惑星分光観測研究部が置かれた( 平成11年文部省令12 号)。
(3) 大気海洋変動観測研究センター
1990年(平成2年) 4月 大気海洋変動観測研究センター設置(平成 2 年文部省令第15 号)。超高層物理学研究施設・気候物理学部門が振替により大気変動研究部となり、新たに海洋変動研究部が加わる。
1991年(平成3年) 4月 熱流量研究部及び客員部門 大気海洋環境研究部設置。
1998年(平成10年) 4月 大学院重点化整備に伴い、理学研究科附属となる。
2000年(平成12年) 4月 大気海洋変動観測研究センター(平成 2 年設置)が廃止され、新たに同名のセンターが設置され、物質循環観測研究部、大気放射観測研究部、海洋環境観測研究部、大気海洋交換研究部が置かれた( 平成12 年文部省令第11号)。
(4) 地震・噴火予知研究観測センター
1952年(昭和27年) 3月 地震観測所設置(昭和27年文部省令第22 号)。1912 年( 大正元年)に学内措置として設置された観象所が前身。
1965年(昭和40年) 3月 能代地殻変動観測所設置(昭和40 年文部省令第17号)。
1966年(昭和41年) 4月 地震観測所を青葉山地震観測所に、能代地殻変動観測所を秋田地殻変動観測所に改称、本荘地震観測所設置(昭和41年文部省令第22号)。
1967年(昭和42年) 5月 三陸地殻変動観測所設置(昭和42 年文部省令第11号)。
1969年(昭和44年) 6月 北上地震観測所設置される(昭和44 年文部省令第18号)。
1974年(昭和49年) 4月 地震予知観測センター設置(昭和49 年文部省令第12 号)。
1987年(昭和62年) 5月 青葉山地震観測所及び地震予知観測センターを地震予知・噴火予知観測センターに改組(昭和62 年文部省令第17号)。
1989年(平成元年) 5月 秋田地殻変動観測所及び本荘地震観測所を日本海地域地震火山観測所に改組統合( 平成元年文部省令第24号)。
1991年(平成3年) 4月 三陸地殻変動観測所及び北上地震観測所を三陸地域地震火山観測所に改組統合( 平成3 年文部省令第19 号)。
1997年(平成9年) 4月 地震予知・噴火予知観測センターと日本海地域地震火山観測所、三陸地域地震火山観測所を統合し、地震・噴火予知研究観測センターに改組( 平成9 年文部省令第13号)。
1998年(平成10年) 4月 大学院重点化により、理学研究科附属となる。